どじょう

  先日、「どじょうの丸煮」で有名な居酒屋で先輩連も交えて一献かたむける機会がありました。諸先輩がみな、やたらお元気なのに驚かされましたが、その言によれば「どじょう世代」かどうかが元気の分かれ道なのだそうな。つまり、幼い時に、雨上がりの小川でどじょうを捕って食べて育ったかどうかの違いが大きいとのこと。わたしの幼少時代は終戦直後だったし、東京の近郊で育ったため近くのどぶ川にはどじょうはすでにおらず、その代わり、真っ赤なザリガニばかりがハサミを振り上げてウロウロしていました。アメリカ渡来のザリガニはいかにもまずそうだったし、根性も悪そうでした。

 しかし、わたしもどじょう捕りの経験がまったくないわけではありません。浜松の叔父の家を訪ねた時、夕立の後に小川に仕掛けた籠の中で踊っているどじょうを生け捕った記憶があります。その晩はどじょうの柳川鍋。当時のわたしにはどじょうよりも甘辛い玉子のほうがご馳走に思えたけれど。しかし、夕立の後の涼やかな空気につつまれたたそがれどき、遠くにヒグラシの鳴き声を聞きながら、急な流れの小川を覗き込んで跳ね回るぬるっとした感触のどじょうをつかんだ経験は、今でも色鮮やかにはっきりと思い出す事ができます。勿論、それを持ち帰って夕食のおかずにしたことも。

 どじょうは本草綱目に「身体を暖め、生気を増し、さらに強精あり」と書かれているほどの健康食品。ビタミンB2、鉄分、カルシウム、ビタミンDが豊富で、しかも、高タンパク質・低脂肪食であり、旬の夏にはナツバテ防止のまたとない逸品と言えます。 

 その晩の諸先輩の意見では、若いときのどじょうの食べ放題は、結局、今の血管の丈夫さにつながっているという結論に落ち着きました。ご意見を拝聴しながら、それはそうかもしれない。しかし、夕立が上がったあとに外に飛び出して、田んぼの脇の流れの急な小川に仕掛けた籠から生け捕りにしたどじょうを夕食のおかずにするという、分かりやすく、ダイナミックな体験そのものが健康づくりに一番役立ったのではなかろうかと、半分、羨ましく思いながら私は美味しい酒の盃を重ねました。